ゴールドベルク変奏曲/La variation de Goldberg
今は、またバッハのゴールドベルグ変奏曲に取り組み始めましが、いや~~難しい。
でも、きっとバッハの中では“難しい”という意識はなかったのだろうなと。
30個のヴァリエーションが全て、本当に寄木細工のように巧妙に書かれています。
1つ1つの曲だけ見てもテーマが凝縮していて、何とも自由自在には色々な雰囲気、キャラクター、音の響きがあり、どんなに想像力が豊かな人だったのだろう・・・と思います。
無限な可能性を信じて一生作曲し続けた行き方自体を敬虔なプロテスタントであったバッハは神に捧げていたのではないでしょうか。
そうでなければ、曲の中に暗号のようにバッハの頭文字を曲の中に組み込んだりしていなかったでしょう。
バッハは数学者や科学者も秘密で入会していた秘密結社の1人であった・・・という説があります。
ヨーロッパでは、昔ABCをそのまま数日にA=1、B=2,C=3…というようにアルファベットを数字に直すと自分の名前も数字のシンボルとして表現できるわけです。
バッハは、
B A C H=2+1+3+8=14
ファミリーネームのJ.Sを足すと
J.S BACH=41
つまり、14も41もバッハの名前を表します。
バッハについて研究した本はあまりにも沢山出版されていますが、ある曲のカノンの数を数えると14回出てくる、あるテーマを数えると41回出てくる・・・というように普通に聞いても分からないのですがよ~く楽譜を見るとそんな暗号のようなものがある訳です。
これは、聞いている人にはあまり分からないことですから意味がないのですが、作曲したバッハにとっては、曲の中に自分の名を刻みこんでいるというのは、音楽を”神への捧げもの”と考えていたのではないか・・と思います。ドイツ語のよく分からない私でさえ、カンタータを聞いてると、何回Jesus...Jesus...でキリストへの呼びかけが出てくるんだろうと思います。
そんなこんなで、到底私の脳みそには及びもつかない“天才”の頭脳と自分の才能に対して本当に謙虚にひたすらに音楽を神に捧げていた、田舎町にひっそりと住んでいたバッハ。
ゴールドベルク変奏曲はただでさえ難しいですが、1つ強く感じるのは”高慢”な心では弾けないということ。
曲があまりに偉大過ぎるのか分かりませんが、少しでも”こんなの簡単に弾けちゃう~~”なんて油断したら最後、一瞬にしてグチャグチャになって弾けなくなってしまうような・・・
そんなどこかもの凄い精神性の高い“品のある”曲集ではないかと思います。
ので、あまりに弾き手が低俗な心だと、はじかれてしまうというか、弾く資格がないような・・・感じさえします。
作曲家があって演奏家が初めて演奏できる曲がある訳で、先週会ったフォルテピアノの恩師のピート・クイケンも“僕は赤ちゃんのように音楽に感動して、その素晴らしさをただ表現しているだけ”と言っていましたが、本当に素晴らしい曲があって初めて演奏家がいる意味があるわけです。
バッハが生きていた時は、勿論彼自身が指揮をして毎週の教会ミサ、カンタータを演奏し、死ぬまで書き続けた訳ですが、今は没後259年経ち2010年で260年になります。
バッハが生きていた当初も、勿論立派なライプツィッヒのトーマス教会の音楽監督に就任して27年間合唱の指揮、オルガン奏者として務めたわけですが、ドイツ国内でその名声はあったわけですが、まさか260年後にヨーロッパは勿論、アメリカ、そしてアジアでもクリスマスの時期にメサイアやクリスマスオラトリオが世界中で演奏されるとは夢にも思っていなかったのではないでしょうか。
日々の謙虚な製作活動がこんなに長く世界中の人に共感を与えるとは凄いですね。そして、当時はプロテスタントやカトリックなどまだまだ宗教革命なども激しくあった時代ですが、今では人種や宗教の差も越えて聞かれているというのは素晴らしいと思います。
そういえば、偶然昨日リハーサルをしたドイツ人と日本人のハーフの友達が丁度、朝お姉さんの住むライプツィッヒでコンサートをして帰ってきたということでクリスマスマーケットの有名なドイツでクリスマスカレンダーを買ってきてくれました。
これは12月24日まで毎日番号のついた日の窓を開けていくというものです。今でもライプツィッヒの広場はこんな建物なんだそうです。いつかバッハの縁のの場所を巡る旅をしたいと思っています。