ルーアンの町/Rouen
ルーアンの町は中世から続いているので、多くのヨーロッパの中世の町がそうであるように、小さい町です。結局、昔は徒歩で移動できる地理内に全てのお役所など立てていたわけですから、自転車があればちょうど良いというサイズです。
私も、アムステルダムに住んだ後は気がついたらすっかり*村人*感覚になってしまって、パリに引っ越した時は中心にメトロで行くだけで往復の道のりに疲れていました。と言っても片道30分の東京では普通の範囲なのですが、アムステルダムでは自転車で・・・5分、10分・・・と15分の範囲まででほとんどの生活に必要な機関があるので便利でした。学校、銀行、王宮、教会など。
有名なモネが晩年に描いた30枚以上の連作*ルーアン大聖堂*は、今も残っている古い家にアトリエを半年以上借りて、朝の光、昼の光、午後の光、夕方の光、夜の光・・・と光の変化を毎日時間ごとに追って描いたことで有名です。
モネの連作と実際に大聖堂の光を時間ごとに追った内容を書いている興味深い文章がありました。ご興味のある方はこちらへ。
さて、話がそれましたがルーアンは15世紀に有名なジャンヌ・ダルクが名を馳せ、最後は魔女裁判にかけられて最も重い火あぶりの刑に課せられてしまった歴史と深い関わりのある街です。ジャンヌ・ダルクは大天使カミエルの声が聞こえる・・・とその声に従い当時、戦いに女性が指示を取ったり、ましてや戦いに行くという時代ではなかった様ですが、後々にフランスを勝利の道へ導いた・・・伝説の少女です。
しかし、どの時代にもその様な特殊な能力を持った人たちは時代の流れと共に受け入れられたかと思うと、悲惨な弾圧を受けたり・・・複雑です。ジャンヌ・ダルクに関してはこちらをどうぞ。
本当に大変な指名を背負って生まれてきて、達成していったのではないでしょうか。それにしても最後は本当に悲劇的とも言える火あぶりの刑ですね。
ルーアン大聖堂の1本裏道の小道を歩いていたら、ここでジャンヌ・ダルクの判決が審議された・・・と記念碑がありました。写真の左の高いアーチのある場所です。
これは何と1429年パリ高等法院書記が描いたジャンヌ・ダルクのデッサン。こんな落書きが記録帳簿の端に描かれていたそうですが、特徴をよく捕えているとのことです。こんな古いデッサンがきちんと保管されているのもフランスならではですね。500年前まで一っ飛び!
その隣に可愛らしいノルマンデイー風のハンドペイントの食器屋さんがありました。
到着して調律をしてリハーサルまでの40分くらいお散歩していたら、知らないうちに時間が!ということで帰り道は、こんなワンちゃん達が迎えてくれるお店がありました。
コンサートも無事に終わり、外に出てみるとやっと暗くなりました。これは10時半ごろですが、コンサート前の8時ごろはまだ青空でした。