<   2006年 08月 ( 21 )   > この月の画像一覧

Hello ! everyone

Now I am in the south of France,Provence.
It is sunny everyday and still be able to enjoy blue sky.I am here for the harpsichord festival in a small village called Villecroze.
It is near Toulon and between Nice and Mareille.

The amazing thing is there is an original french double manual harpsichord:Hemsh which was built in 1776.
It is very rare to be able to play these instruments which are mostly in museums.The sound is so profound and we learn great things from the instrument like toutch,how to produce the beautiful sound....etc.

It is perfect to play french haprishocrd music from the 17th & the 18th centry.

Anyway, I will put nice photos about the harpsichord,landscape of Provence when I will be back at home in Paris.

See you then !!
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ノートルダム大聖堂と、ここがフランスの中心という碑。全てのフランスの距離は、このパリが始まったとされる歴史の長い、この地点から計測されている***

もう1週間前のことになるが、8月15日は聖母マリアが復活し、天に昇ったとされる祝日で、パリの各地の教会ではミサが行われた。

ノートルダム寺院のいくつもの鐘がカランコロンと何回も鳴っているのに誘われ、行ってみた。

ちょうど、ミサの最中であったが、通常よりも溢れ返る人・人・人である。

しかし、大半が祈りに来た人で、入り口周辺は明らかに、観光客が、一体なあに?!という雰囲気で見ている。

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ミサの最中であったが、祭壇の近くのバラ窓が見える所で、厳かな雰囲気の中、優雅なフランス語でのミサをしばらく聞いていた。

ミサの間に弾かれる、オルガンの音色と神父さんなのに、歌手のように、耳にやさしい歌声で聖歌を歌い、そこに集まった何千人の歌がそれに続き、教会内に呼応する。

そして、どこからともなく、聖歌隊の歌が始まった。
明らかに、10代のボーイソプラノの子の歌声は、本当に天使のようである。

ゴシック建築の高い、石作りのアーチを描いた天井と共に、幻想的な響きを生み出す。そして、オルガンの即興演奏が続き、しばし聞き入ってしまった。

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一歩外に出れば、現代に生きる都市に居ながら、教会内では、何世紀にも渡って、人々の祈りと共に常にこうして音楽が生き続いてきた。
まるで、時間が止まったような感覚だった。

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全ての儀式が終わり、外に出ると、祭壇にあったマリア像が多くの神父さん、また教会の関係者の行列の後に続き、運ばれていく。

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そして、教会の脇の奥へと消えていった。また、来年の被昇天の祝日まで眠っているのだろうか。

家に帰ってくると、下の住人も帰ってきたばかりだったので、ノートルダムに居たの?と聞いたら、*そうだよ。じゃあ、また今度の日曜日に*と言われ、別れを継げられた。

きっと、毎週日曜日に、ノートルダムのミサに通っているんだろうなと思ったが、通っている教会がノートルダムというのも、凄いなあ・・・と思ってしまった。

私は、信者ではないけれど、古楽やオルガンが常にミサと関って、多くの曲が生まれてきたことと、たまにミサのオルガンを弾く仕事などで、一通りどのように進行するのかを知っておくのは大事である。オルガンの即興演奏の演奏する長さも、参列する人たちの人数にも寄るし、ミサの前後にオルガンが演奏する。

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勿論、アメリカにもアムステルダムにも教会は沢山あるのだが、特にパリに来て、教会内の美しい絵画や建築、そしてステンドグラスと古い歴史、また、人々が祈り続けてきた場所の雰囲気が、心を静かにしてくれるのが好きで、ふと教会に入ることが多い。

余談だが、ボストンでちょうどオルガンの仕事をした時、ワールドカップでブラジルが優勝した次の日の朝で、偶然、教会のあった地域がブラジル人が多く住んでいた為、お祭り騒ぎになって、広場や道路でサンパを踊っていて、車も通行止め状態で、神父さんが遅刻して、はらはらした思い出がある。今から思うと、とてもアメリカらしい。

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正門の前の数え切れいない彫刻からなる、アーチ***
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パリの自宅から徒歩2分で、サン・ジェルマン通り沿いに、モーベル・ミテュアリテというメトロの駅がある。

ここには、週3日、青空市場が立ち、新鮮な野菜、果物、オリーブから生パスタ、お花やパン屋さん、洋服なども売っている。この市場は実は12世紀くらいから始まったという、長い歴史がある。

その脇に、常設の駅前に立つお店が何件がある。よく私も買うワイン屋さん、お肉屋さん、そしてその中に、チーズ屋さんがある。
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チーズ屋さんとは、日本でいうお豆腐やさんのようなものではないかと思う。フランス人にとって、欠かせない食材で、ワインや食後酒にあった、チーズを選ぶのも楽しみの1つである。

この駅前のチーズ屋さんで、帰国前には、パリに11年住むピアニストの友達から教えてもらった、ミモレット・ヴィエイユやコンテの種類など、お勧めチーズをお土産として買い、真空パックして持って帰った。勿論、とても好評であった。何しろ、日本で買うとひとかけら800円くらいのものが、なぜか4000円とかで普通に売られている。どうして!?と思うが、手数料など入れると、やはり倍、3倍に跳ね上がってしまうらしい。

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そこで、働いている店員さんに、日本人の鷲尾さんという方が居らして、季節のチーズなど、説明をしてくれた。

聞けば、初めてフランスに来た頃は、ロレーヌ地方のチーズを作る地方に居て、その後パリのチーズ屋さんで働いているという。

ちょうど今月、フランス人の旦那さまと御結婚をなさったとのことで、ウエディングドレスは、サーモンピンクの布地にフランスのレースをあしらったものをお作りしたようで、是非、今度はお写真を見せて頂きたいと話が盛り上がった。

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絵描きの人がある午後、通りで描いていた。奥に見えるのは、ノートルダム大聖堂の横側。モーべールの広場からすぐ***

パリでも、日本の様にちょっとお買い物をしに行ったり、公園ですれ違った人と、気軽にお喋りをする機会がある。

そんな時、パリジャンの、個人主義、そして冷たいイメージだけでなく、住人との間の、ささやかな交流が、何かうきうきさせてくれる。

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古書屋さんにあった、昔のパリの地図。真ん中の島がノートルダム大聖堂のあるシテ島で、そのすぐ上の橋を渡ってすぐの広場がモーベール。
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サン・マルコ寺院の真ん中の屋根の上部。可愛い天使たちの像***

6年前に初めてヴェネツィアへ行ったとき、確か、サン・マルコ寺院から散歩をしていた時に、見つけた、おじいさんの経営する、こだわりの額縁屋さんで、記念に鏡を買った。

1つは、当時私が住んでいたボストンへ持ち帰り、もう1つの小さいけれど、鏡に花の彫りがあしらわれた方は、一緒に旅行していた母が東京の実家に持ち帰った。

それ以来、愛用していたのだが、去年アムステルダムに住んでいたときに、不意にスタンドランプが倒れ、それと共に、この鏡も、すごい音と共に、壊れてしまった。

それ以来ボロボロに壊れてしまった鏡は、悲しくも、修復してくれる人が見つからないまま、押入れの奥に閉まってあった。

しかし、今回突然ヴェネツィアに行くことになり、もしかして・・・・・とあのお店にまたたどり着けるかも分からぬまま、半信半疑で荷物に詰め込み、出発前に探しても見つからなかった住所がもしかして、日本に持ち帰った鏡の裏にでもあったら・・・・と電話書けたら、私の鏡には無かった、ポストカードが付いていた!

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入り組んだヴェネツィアの地図。教会は、20個はあるのではないか***

ということで、住所と電話番号を控え、ヴェネツィアに付いたのだが、住所というのが、*ヴェネツィア式*で、とても分かりにくい。

ただでさえ、入り組んでいる、1人しか通れないような小道、ぐるぐると迷路のような道など、沢山あり、この鏡のお店は大きな教会の隣だったような・・・・としか、記憶がないのである。

すると、偶然に入った、ヴェネツィアに古くから伝わる手法で作る、万華鏡のような模様の紙屋さんに、この住所とお店知ってますか?と訪ねたところ、親切なことに電話をしてくれた。

もしかして、もうつぶれているかも知れない・・・・と思った、頼りない6年前の電話番号だったが、通じたようで、すぐにアカデミア橋の近くのここの教会の隣だよ。と教えてくれた。
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お礼を述べて、早速行ってみたら、あっ!?!何か見覚えのある・・・・
と見ると、あのおじいちゃんが!!


ということで、この鏡を6年前に買って、ヴェネツィアーボストンーアムステルダムーパリを経て、また修復しにヴェネツィアに戻ってきました。もう1つは、東京で大事に使っています。と伝えたら、おじいちゃんの表情もほころび、翌日の出発にも関らず、1日仕上げをしてくれた。

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お店の近くにあった、小さな教会でコンサートのリハーサルが行われていた****

翌日、行ってみると、鏡もきれいに入れ替え、額縁もきれいに塗られてある。聞くと、これは500年前と同じ製法で作っているとのこと。
額縁には、金箔をはってあるのだが、それが、キンキラしているのでなく、やや削れて、古びた良い感じに仕上がっている。

おじいちゃんも、クリスマスにパリに行ったんだよ。とお店を手伝っている息子さんと、ヴェネツィア訛りのフランス語で一生懸命話してくれた。

仲良くなった所で、お支払いをしようとしたら、じゃあ、安くしてあげる。と値段も友達価格になってしまった!さすが、イタリア。値段はあるようで、無いのが現実。こういうことは日常茶飯事のようだ。

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お店の近くにあった、ヴェネツィアングラスのお店。よく見ると、グランドピアノの上に飾られている。お洒落!****

なんだか、イタリア人の暖かさに触れた気がして、では、また。と言って、別れを告げた。

旅を通して、勿論歴史や絵画に触れるのも大きな喜びだが、こうして、現地の人々とのコミュニケーションが更に、良い思い出を添えてくれる。今回は、このおじいちゃんとの嬉しい再会が心に残った。
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今でも、ヴェネツィアは世界中の人々が憧れる場所で、サンクトペテルブルグは東欧のヴェネツィアと言ったりするように、美しい町の象徴として使われる。

そして、多くの有名な画家、芸術家がこの町を通り過ぎ、この町にしかない、不思議な魅力の中で、夢心地の生活を過ごしたかもしれない。

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15世紀から、海洋貿易で栄えたヴェネツィアだったが、17世紀前半頃から、芸術は開花し始める。それも、やはり人々の暮らしの中でうまく音楽が取り入れられ、1つの社交の場として、オペラがもてはやされ、後には中心地となる。

ローマ教皇の絶大なる力がある中で、ヴェネツィアは共和制を取っており、いわゆる君主というものが存在していなかった。

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モンテヴェルディの遺体が収められているフェラーリ教会***

当時、宮廷の祝祭などの為に、特別に作曲家オペラを書き、限られた高い階級の人々にしか、見れなかったオペラを、ヴェネツィアでは、お金を払えば誰でも見れるという稀な制度にした為、多くの人が聞きに行った。

その為、1637年に初めてオペラ劇場が建てられ、その翌年に政府によって認可されたカジノも、裕福な貴族が始め、次々に増え、人々に受け入れられていった。

日本では、現在でも公式な巨大カジノを建てたくても、政府の許可が下りないと聞いたが、ヴェネツィアでは、約370年も前から公式というのは、自由奔放なイタリア人気質が伺える。

当時は、約半年がキリスト教の行事と共に、祝祭が行われ、その間、ヴェネツィアの全市民がこぞって参加するという自由な空気が流れていた。

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カーナバルの最中は、貴族から、ゴンドラの漕ぎ手から、誰でも、老若男女、仮面を付ければ、まるで別人のように振舞うことができた。

娼婦が貴族の館に出入りすることも、逆に貴族が身分を隠して、恋愛を楽しむことも可能であったと考えると、当時としても、他の町では決して見られることのない、自由な風潮があったと思われる。

しかも、町中の誰もが参加できて、飲み、歌い、自由にいかに人生を楽しく生きるかという雰囲気の中で、オペラはきれいな歌い手を見に多くの人が集まり、つまらない時は、ボックス席の後ろの方で、友人と話したり、食事をしたり、いわゆる社交の場としての役目も果たしていたようだ。

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フェラーリ教会の小さなオルガン***

ヴェネツィアが昔から、多くの芸術家や音楽家が自然に集まったのも、この様な社交界が広まり、音楽がその中で重要な役目を果たした為だと思う。

フランス、またイタリアに居ると、つくずくラテン系の気質というものを強く感じる。イタリアの方が、勿論フランスよりも、もっとキャラクターが強く、男女共に、自分の魅力をを色濃く表現しているのだが、その他にもインテリア、洋服、人生の楽しみ方、食生活そして芸術において、先人から残された、優れたセンスにも圧巻させられる。

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偶然、通り過ぎた教会でヴィヴァルデイと古楽器の展示会があった。珍しい形をした小さなピアノ***

実際に、ヘンデル、ヴィヴァルデイ、アレッサンドロ・スカルラッティ(555曲のチェンバロソナタを書いたのは、この偉大なる父の子供、ドメニコ・スカルラッティである)も、この町でオペラをそれぞれ公演し、大成功を収めている。

この町は、ふとまた訪れたくなる衝動に駆られる、5世紀以上前から世界中の人々を魅惑し続けてきた、歴史と芸術の宝石箱のような町である。
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ヴェローナを後にし、電車で1時間ほどすると、両脇の景色が、今まで走っていた道路から、海へと変わる。何とも不思議な光景、一体このレールはどうなっているの?

海の中を走っている!これが、ヴェネツィアの町の始まりである。空港に着いても、普通のTaxiはある一定の場所までしか行けない。そこから、全ては*水の世界*である。
そして、Taxiも、バスも、全てそれは*水上ボート*である。今、世界中で唯一車の音が聞こえない、夜になると、ひっそりとした空気の中に、海の香りが漂う、魔法の様な場所である。

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有名な、アカデミア橋からの眺め。まるで生きた絵画のようである***

ヴェネツィアは、実は既に、17世紀末から18世紀にかけて、ヨーロッパ中の人々が集まる、観光のメッカであった。そして、その魅力は未だに世界中の人を魅了し続けている。

この*水の町*の現実離れしたユニークな雰囲気の中で、多くのカーナヴァル(祭り)が行われ、魚介類の豊富な美食に酔いしれ、恋多き人がさ迷い、賭博が氾濫し、そして音楽もその娯楽に彩りを添えるものとして、繁栄した

あの有名な色男、カサノヴァが多くの女性を魅了したのも、この町である。

バロック時代は、ここヴェネツィアがイタリア音楽の中心地であり、多くの優れた音楽家が次々に名曲を生み出していった。
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ギターを乗せた、素敵なゴンドラの前でイタリア人の男の子が道端で、向こう岸に居るおじちゃんに話していた。***

大通りを一歩入れば、そこは、迷路のような小道である。
1人が通れるほどの細くて、長い通路が今でも、沢山あり、住人でも覚え切れるのかと心配になってしまうほどである。

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まだ、イタリアが多くの小都市に分かれていた頃、ここヴェネツィア共和国の首都として、海上貿易を通して、多くの富を手に入れた。また、この共和国の領域内であった、パドヴァ大学では、あのガリレオ・ガリレイ(1564-1642)が、18年間、数学の教授として過ごしたというから、驚きである。

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その他、有名な音楽家、モンテヴェルディ((1567-1643)は、サン・マルコ聖堂の楽長となり、多くの優れた作品を残した。
1318年の一番古い文献には、この有名な聖堂のオルガンを修理したという記録があることから、その頃には、サン・マルコ聖堂には、オルガン奏者、また歌手達が居たと思われるほど古い歴史がある。
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教会内にあった、教会で昔から歌われた来たラテン語の聖歌の本***

この様に、単なる観光地というだけでなく、今も、昔も、多くの文化と芸術と常に密接して、人々の暮らしの中で発展してきたという、歴史が本当に興味深く、ヴェネツィアの町自体が、*生きた美術館*そのものである。
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5月のフランスでの長い休暇に、生まれて初めて寝台列車に乗って、ヴェネツィアをめざし、5泊4日の旅に出た

パリのベルシー駅から出発し、一眠りするとそこは、ミラノ中央駅であった。既に、国境を越え違った国の臭いがする。はっきり言えないが、フランスでないことが感じられ、一歩まだ古い良さが残る、素朴な感じがした。

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イタリアの景色。けしの赤い花が咲き乱れていた。

寝起き覚ましに一杯のカプチーノを駅のバーで飲む。おいしい!
パリのコーヒーだって、既においしいはずだが、更に上を行くとは!!しかも、値段はパリの3分の1の物価の安さである。思わず、おかわり!

ローカル路線に乗り換え、ヴェネツィアよりも1時間ミラノ寄りにある、世界遺産に指定されている、ロミオとジュリエットの町としても有名なヴェローナへ。

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シェークスピアが実際にイタリアを訪れたという記録は無いが、今でも、ロミオとジュリエットが舞台となった、もともとはカプレティ家の邸宅であった、ジュリエットの家は観光客でごった返し、みんなが順番にバルコニーで記念写真を撮っている。

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また、紀元前1世紀前に作られたコロッセウム(円形劇場)は、イタリアに残された中でも3つ目に大きく、一番良い状態で保存されている。今でも、25000人を収容でき、夏にはオペラやジャズの野外コンサートが行われ、世界中からオペラファンが押し寄せてくる。

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円形劇場の一番上から見た、広場の景色。ここにローマ時代から人々が集まっていた****

また、私はどの町でも、ふらりと目に入った教会に立ち寄るのが好きである。
この日も、大きな教会をめざして、何となく歩いて行くと、隣に小さなチャペルがある。
覗いてみると、なんとチェンバロが!
しかも、フレスコ画の素晴らしい建物で、音響も抜群である。

コンサートでもあるの?と聞いたところ。NO.の返事。
しかし、やっぱりきちんと調律しているのを見ると、本番があるのは、確か。
取りあえず、まだ時間がありそうなので、隣の大きな教会を見て、戻ってくると、目の前にどこかで見かけたような人が立っている。

ん?!一瞬考え、そういえば、アムステルダムで半年前に会ったイタリア人のチェンバリストである。
ぽんぽん。と肩を叩くと、*あーー!どうしたの?!*と向こうもビックリ。

:あれ?パリに住んでいるんでしょ?僕、これからコンクールで弾くんだよ。これ、アンサンブルのコンクールなんだ。:と説明してくれた。

ということで、イタリア人で今はアムステルダム音楽院で勉強中のフランチェスコ君の演奏を聞かせて貰うことになった。
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コンクールのテーマは、さすがイタリアらしく、*べネツィア派の音楽家のみ*という選曲で、なかなか聞きごたえのある演奏。

無事に終了して、お茶を飲み、アムステルダムの懐かしい友達などの近況を話していると、いつの間にか、ヴェネツィア行きの電車を乗る時間が近くなり、別れを告げた。

なんたる偶然!
そして、先月ドイツのライプツィッヒで行われた、3年に1回のチェンバロ部門で優勝したのは、この21歳の才能溢れるフランチェスコ君だったと知り、本当に驚いた。

しかも、彼は会ったこの時に、今度コンクール受けるけど、予選のヴィデオ審査に送った、DVDは凄いチェンバロで録音して大変だったんだよ!なんてあっけらかんと話していたのだが、きっと本人もまさか優勝するとは思って居なかったに違いない。

2週間前も、たまたま他のコンクールの2部門で優勝した、別々のフォルテピアニスト、チェンバリストはオランダでお馴染みの日本人の友達で、みんな世界の舞台で活躍して、凄いなあと関心すると同時に、心からおめでとうとお祝いの気持ちで一杯である。

また、バロック音楽というヨーロッパの文化にも関らず、近年、日本人の活躍が著しいのも、日本人の持つ技術のレベルの高さと、きちんとスタイルを理解した演奏が認められているという事実も、嬉しい限りである。

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歴史的建造物と、現代の人々の生活がごく自然に共存しているイタリアらしい光景****

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テラスの素敵なおすすめレストラン!パスタも前菜もおいしかった!
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I went to Italy by night train from Paris last may.The next morning, I`ve already arrived at the *Milano Centrale*station.And the capuccino was so tasty !! and very cheap compare to Paris.
On the way to go to Venezia,I stopped by Verona.Another great ancien city from the roman periode.
There is still the famous balcony of the * Romeo and Juliette *.And there is a Jazz& Opera festival at the amphitheater which was built B.C 1ciecle.
There are historical buildings everywhere.Incredible !!
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パリ郊外にある、知人でもあるチェンバロ製作者、そして修復家のアトリエに伺った。

1年前には、まだ修復中のぼろぼろの楽器達も、細かい作業の末、演奏可能の楽器となり、出迎えてくれた。

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これは、北欧製の18世紀後期の大きなクラヴィコード。クラヴィコードはオルガにストの自宅用の練習楽器としても、チェンバロよりも手頃な値段で買えることから、18世紀、ドイツを中心にかなり盛んになった。****Original clavichord in 18th centry in Norway.

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これは、ショパンがジョルジュ・サンドのコルシカ島の別荘で前奏曲などを作曲していた時に、使っていたモデルに近い、フランス製・プレイエル社のピアニーノ。(今のアップライトピアノの様なもの)アトリエに住む愛犬ピポー君も良い子にポーズを取っている。****Pianino by Pleyel.Chopin had the same type of piano at the corsica.

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これは、イタリア製の珍しい2段のチェンバロ。17世紀だろうか。この様に、アンティークの楽器は、よほど良い状態で保ち続けられたのでなければ、この様に、色々な所にひびが入ったり、修復する箇所が多い。****An original Italian double manual harpsichord.

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これは、フランス製のアンテーィクチェンバロの弦が張ってある下のサウンドボードと言われる木。チェンバロを作る時は、この木に装飾画を描いてから、弦を張る。この木は、2,3ミリの薄さで、この木によってチェンバロの命の様な場所。しかし、湿気や感想によって、この様に、ひびが入ってしまうことは今でも、稀ではない。****A sound board of an original french harpsichord.

製作者やチェンバリストはこの様な、貴重なアンテーィク楽器を見ることで、3世紀昔にどの様に、作られているかを、間近に学ぶことができる。

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そして、現代の製作者がそれらをもとに、昔の楽器のコピー楽器を今も、製作している。****Copy instrument by Olivier Fadini

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これは、チェンバロの装飾の時に使う、自然な成分を使った、顔料。さすがにショッキングピンクは自然のものではないそう。****painting material for the harpsichord.

木を張る際には、日本でも古くから使われている、膠(にかわ)を使用する。成分は、魚や動物のゼラチンを成分としたものを使用するが、やはり現代の動物達よりも、古い膠の方が、成分が良いそうである。

この様な、製作家がヨーロッパ各地、また日本各地にも居て、今も研究しながら、*良い音*を追及し、現代に再現することを試みている。
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随分と昔から、モネが描いた大作*睡蓮*の庭がある自宅、ジヴェルニーに行きたいと10年前から思い、つい最近やっと行ってきた。

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電車とバスを乗り継いでも行けるが、フランスの交通事情というのは、なかなか日本の様に便利ではないので、余計な労力を掛けないで、短時間で要点だけ見たいと言う方には、観光バスツアーはお勧めである。

バスは、パリの中心の観光会社から出ており、1時間ちょっとで、あっという間に着き、現地では自由行動で、またバスに戻ればパリまで一っとびと言う感じである。

モネの住んだ家、広大な敷地の庭、そして晩年に*睡蓮*の製作の為に特別に立てた、大きなアトリエが公開され、世界中からのモネのファンが訪れている。

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*製作中のモネ*
モネは、この敷地に45歳の時に買い、数々の名作を生み出した。中でも、睡蓮は、1898年の57歳から書き始め、1926年の86歳に亡くなるまで30年弱もの間に渡って、描いた。

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*今でも、モネの絵の世界と変わらぬ、庭が保ち続けられている。

モネは睡蓮を描く時、自分の好きな場所に睡蓮を配置したい為に、庭師にボートに乗らせて、棒で睡蓮の位置を移動させたというほど、細かい構図にこだわっていたらしい。

また、今でもこのジヴェルニーの花は、多くの庭師によって、丁寧に手入れされ、季節折々にきれいに咲かせる為、苗からビニールハウスで育てているということである。

モネの家の中には、モネの持っていた何百枚もの浮世絵のコレクションから、北斎などの、名だたる名画が展示されている。

1867年のパリ万博で晩年の徳川幕府が、フランスに初めて浮世絵を100枚展示し、それ以後ジャポニスムが大変流行した
その際に、モネ以外にもゴッホ、モロー、ゴーギャン、マネなど多くの印象派画家が影響を受けた

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現在、ボストン美術館にあるモネの*La Japonaise*(ラ・ジャポネーズ)は、1番目の妻、カミーユが着物でポーズを取っているもので、1876年の第2回印象派展に出品し、異例の高値で売れていることからも、パリでのジャポニズムへの関心の高さが伺える。
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睡蓮は、欧米で盛んに育てられているようですが、どこか日本的とも思える美しさを感じます。これは、実は京都の睡蓮です。
前述の睡蓮のブログをご覧になった方が送ってくださり、とてもきれいなので、了解を得て掲載させて頂きました。
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私は、10年ほど前に旅行でパリに来た際に、オランジュリー美術館の地下に展示されていた、大作:睡蓮を見て以来、モネがとても好きな画家となった。

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この4年間はずっと閉館となっていたが、改装工事を終えこの春から、再びオープンして話題になっている。

モネの、*この睡蓮の大作を自然光の中で見てもらいたい*という願いどおりに、1つのキャンバスが11メートル以上に及ぶこの連作を地上階の2部屋に展示している。
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その為、印象派の画家達が大切にした、光りの移り変わりを感じながら、キャンバスの微妙な色あいを楽しむことができる。

そんな自然の中に居るような空間で、人々は360度の部屋の中に展示された、朝日の光、午後の日の光、そして夕暮れの中の光をそれぞれ表現した、モネの大作に見入っていた。

モネは、この*睡蓮*のシリーズを1890年より描き始め、晩年は、白内障の手術を繰り返しながらも、失明寸前の状態で描き続けた為、どんどん絵が抽象化されていっている

また、多くの条件と共に国家に寄付することを申し出た。
その内容には、作品と観客との間に仕切りやガラスなどを設置しないことや、自分の死後にしか、展示しない。などがあり、それらは忠実に守られている。

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これは、他の絵より抽象化しているので、晩年に描かれたのではないか。

何十年にも渡って、モネが全ての精力と情熱を傾けたこの連作は、遺言のような作品ではないかと思う。だからこそ、人々の心に残るのではないかと思う。
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