みなさま、こんにちは。
ご無沙汰しております。

今週は、毎年ベルギーのブルージュで行われている伴奏に行っていました。
世界中から多くの優秀な古楽器の音楽家が集まります。

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予想もしなかったアムステルダムの旧友にも会えて、とても楽しかったです。
コンクールは、やはりピリピリと張り詰めた空気の中で、自分の力を発揮するというのは、大変な精神力ですね。

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もう、私自身は受けないですが、やはりコンサートとは違う独特な雰囲気がありますね。

ブルージュの街は、相変わらず可愛く、良いお天気にも恵まれました。

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山梨のコンクールから1年後の2006年4月に翌年の旋律楽器の部門のコンクールが開かれた。
その際に、第20回を迎えるコンクールを記念して過去の1位の受賞者と、前回の19回の受賞者計9人を交えて大掛かりなコンサートをすることになった。

偶然にも、去年2位になったチェンバロの福間彩さんは、私とアムステルダム音楽院を同年に卒業してフランスへ移り、同じパリに住んでいた。

その為、彼女の室内楽曲の伴奏を私が弾くことになり、リハーサルも2台のチェンバロを使って行うことになった。

当初私は、ソロを弾こうと思っていたが、せっかく2台チェンバロで演奏できる機会なので、普段あまりしないことをしようと思い、二短調のバッハのコンチェルトを演奏することにした。

福間さんには、オーケストラパートを弾いて貰う事になったが、ほぼソロと同じ重要なパートが凝縮されている。

コンサートの4月に向けて、2月頃からリハーサルを何度が繰り返し、山梨の本番に臨んだ。2台チェンバロというのは、意外に難しく、フレーズごとに細かいアーティキュレーションを決めて、揃えないと、ばらばらに聞こえてしまう。また、2台の音が1つに混ぜ合わないと、全体のハーモニーなどがきれいに響かないので、ソロとは全く違う要素が含まれる。

しかし、福間さんとお互いの意見を出し合いながら、練っていったリハーサルは、とても貴重な体験となった。

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テレマンのトリオソナタを演奏したメンバー。左から私、リコーダーの太田光子さん、チェンバロの福間彩さん、ガンバの福沢さん

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また、福間彩さんの選曲したテレマンのトリオソナタで共演させて頂いた、リコーダーの太田光子さんの演奏がとても印象的だったので、9月の東京リサイタルにゲストとして出演して頂くことになった。

こうやって、色々な人との縁が繋がっていくのは、嬉しいことだ。
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2005年の春に日本で唯一の古楽コンクールを受けることにした。当時は、アムステルダムに住んでいて、4月のコンクールに向けて、数ヶ月前より準備を始めた。

しかし、運悪くもコンクール2ヶ月前に自転車事故で、右ひざ靭帯を怪我し、1週間自宅から一歩も出れないほどの激痛を経験し、結局1ヶ月間びっこを引いて、まともに歩けなかった。

大事な時期にそんなことが起きてしまい、どうにもできないやら、情けなさ気持ちで一杯であった。できることと言えば、座って行動できる読書と練習。まるでおばあさんのように、隣の部屋に行くことすら、困難であった・・・・

オランダの医療事情は日本に比べてとても遅れており、MRI(超音波)で検査して貰うのに、3週間待つと言われた為、それならばしょうがないと、急遽治療の為日本に3月に帰国した。

驚くべきことに、いつもお願いしている整体の先生の2回の治療で無事に歩けるようになり、靭帯が縮んで伸ばせなかった足もどうにか普通になった。

そうしてオランダへ帰ると、コンクールの為に再び帰国するのは約3週間後であり、やっと最後の詰めの練習ができる状態に戻ったが、時間が足りない状況下にあった。

しかし、外国でチェンバロを始めた私にとって、日本でどんな人がどのような演奏しているのかも全く知らない為、知らない世界を見るのも良い勉強という思いで山梨へ向かった。

予選は、7曲ほど決められた課題曲の中からバッハ以外から選択して良いという、割と自由の利く発表があった。

その中から、私は自由曲で選択したルイ・クープランのホ長調のプレリュード、フローベルガーの組曲そしてダングルベールのパッサカリアを選び、違うスタイルの曲を演奏し、持ち時間を目一杯に使った。

もともとのコンディションが足の為に、思い通りに整えられなかったせいか、あまり余計なことを考えずに、素直に音楽だけを見て弾けた気がする。

ある意味、聴衆のことも、審査員のことも変に意識せずに自分の中で、最後まで納得のいかない箇所を、なんとか音楽的にならないものかと思い、客観的に音を聞き、表現することに集中した。

弾き終わったら、まあ、やることはやったとすっきりし、せっかく山梨に来たのだからと、隣の温泉町へ行って、20mほどもある素晴らしい檜風呂に入って、極楽気分を味わっていた。

その後会場へ戻り、予選終了後の結果発表で張り出された紙に、なぜか自分の名前があり、一瞬・・・・・・把握できなかったが、次の瞬間、*え~~~。また弾くんだ。温泉なんか行かなければ良かった。*と一瞬後悔した。

しかし、与えられたチャンスはありがたいと思い、再びコンクールモードに切り替え、翌日の本選に臨むんだ。

本選では、イタリア音楽からストラーチェの陽気なシャコンヌとバッハのニ短調のトッカータを演奏した。既に5人に絞り込まれていたので、色々なことを考えてしまい、後から考えてみると、前日の無意識の高い集中密度に比べて質が落ちてしまったようだ。

演奏後、さすがに緊張で疲れ*これは、やっぱり温泉!*とまたもや、檜風呂を堪能しに行ってしまった。

結局、1位なしの3位を頂き、何も期待しないで受けたので、嬉しい驚きであった。
しかし、何よりも聞いていた人の感想より、音楽だけを素直に見ていた予選の演奏の方が、心に響いていたことを知り、驚きであった。

そういった、演奏中の精神状態と実際に聴衆にどのように伝わっているのかということを学ぶ、とても貴重な機会となった。
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世界一古いボローニャ大学の一角にある、素晴らしい内装の歴史的建物で、コンクールが行われた。これは、練習室。

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ボストンから、アムステルダムに移った2004年の秋に、たまたまイタリア・ボローニャで行われるチェンバロコンクールの広告を見た。

課題曲は、イタリアの作曲家、マリーニ、フレスコヴァルエディ、スカルラッティ、バッハのプレリュードとフーガ、スウェーリンクのヴァリエーション、現代曲の他に40分程度の自由曲(私は、ラモーとバッハのトッカータを選んだ)という組み合わせだった。

コンクールまでほぼ2ヶ月しかないという状況でも、自分の良い目標としてして挑戦することにした。まだ、アムステルダムに移り住んで間もなかったが、とにかく、新曲の譜読みとスタイルを学ぶのに集中した。

新しいスタイルを短時間で学び、吸収し、どうにか自分の音楽にすることに精一杯という状態の中、あっという間にコンクールに行く日が来た。

昔から、コンクールというものがあまり好きでなく、ましてや*人と争う*ということが、苦手な性格である。いわゆる*他人を蹴落としてでも、勝ち抜く*という強さとはあまり縁がないのである。

しかし、長年弾いてきたピアノからチェンバロに変わり、それらのプレッシャーからも開放され、新たな道を1からマイペースで進んでいるというメンタリティーに変わっていた。そして、音楽も自分の為にやっているという意識も強くなっていた為、あまり他人は関係なく、あくまで自分の為の目標という意識だった。

一次予選は、フレスコヴァルデイ、マリーニ、スウェーリンクを弾き、半分の人数に絞られた。
そして2時予選は、スカルラッティ、バッハ。そして5人が残され、本選は自由曲のラモー、バッハのトッカータに現代曲の武満 徹に加えて、当日、初見の通奏低音の課題曲を演奏した。

ソロは、いつもの通り自分のペースで演奏すれば良いのだが、アンサンブルの通奏低音は、予想外の展開であった。

まず、チェンバロのない部屋で、ファクシミリの楽譜を渡され、15分見る。それを、審査員の居る前でぶっつけ本番でイタリア人のリコーダーとチェロの人と一緒に演奏する。
ただ、演奏するだけならば良いのだが、どうやら1人ずつの演奏の持ち時間は15分ほどで、演奏する他に、まるでリハーサルの様に、自分の意見を言ったり、どのように、音楽を作り上げていくかという過程を審査されるとのこと。

一緒に演奏する2人に、英語で話しかけても、*ノン カピースコ*(分かりません)の返事が返ってくる。チェロの子はイタリア語のみ。私のイタリア語は片言。
ということで、残るは、リコーダーの子が少し理解できるフランス語のみとなった。しかも、私がトップバッターということで、一体どんな感じで演奏、そして意見を言えば良いのか多いに謎であった。

しかし、ここで怖気ずいてはいけないと思い、ここは1つ、劇をするしかない!と思い、知っている限られたフランス語の表現で、*和声がここはドミナントだから、もうちょっと緊張感を*などと、あらかじめ前の部屋で分析しておいた曲の内容を、とにかく弾いて、話して言って、見せるという、まるで、パントマイムのような状態になっていた。

一体、それで良かったのか、他の人たちがどうその時間を使ったのかは知らないが、他はみんな、イタリア人、フランス人、イギリス人でもイタリア在住と、言葉の問題は全くないのである。
なんて、羨ましい!でも、今更、外人になれる訳でもないので、精一杯やるのみである。

後で、リコーダーの女の子が、なかなか良かったわよ。と言ってくれたので、まあなんとか減点になってなければ良いという感じであった。

そして、ソロを弾きあとは結果発表のみとなり、受賞者演奏会が1時間後に始まる予定という頃に発表になった。

これまた、イタリア語で名前を呼ばれたのは良いが、はっきりと結果が良く分からない。
すると、同じアムステルダムから受けに来ていたフランス人の友達が目を輝かせて、隣で堂々と立っている。どうやら、一位になったらしい。そして、一体私は?と待っていると、どうやら2位になって、3位をイタリア人とイギリス人が2人で分けたらしい。と雰囲気から感じ取った。

ということで、喜んでいるのもつかの間、コンサートで弾く曲を決め、着替えて演奏した。

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イタリア・ボローニャのコンクール後、入賞者演奏会にて

審査院長であったら、高齢のイタリアのチェンバロの巨匠的存在のタリアビーニや、オランダ代表のボブ・ファン・アスペレン等から、演奏の批評を頂き、長い1日が終わった。

そして、やれやれとほっと胸を撫で下ろし、新しい我が家のアムステルダムへと帰っていった。


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